キリストはわたしたちの身代わりである ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創22:12 御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。 その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れていることがよ くわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにさ さげた。」(13節)アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけ ている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の 子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。(新改訳) 1ペテロ3:18 キリストも、罪のために、ひとたび苦しまれました。それは、義 なる方が不義なる者たちに代わって苦しまれたのであり、彼があなたがたを神に もたらすためです。彼は肉においては死に渡されましたが、その霊においては生 かされたのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 神の御子に置き換わった神の小羊は、わたしたちの身代わりでした。雄羊がイサ クの代わりに殺されたように、神の小羊はわたしたちに代わって十字架刑を受け られました。わたしは少年のころ、福音の宣べ伝えを聞き、キリストがわたした ちのために死なれたことを告げられた時、それを十分に理解することができませ んでした。わたしは創世記第22章の明確な絵を見た時はじめて、キリストがどの ようにしてわたしたちの身代わりであったかを理解することができました。雄羊 がイサクの代わりに殺されました。これは、神の小羊キリストが、わたしたちに 代わって十字架につけられたことを示す絵です。わたしたちはみな十字架に行く べきであったのですが、神はわたしたちを神の小羊で置き換えてくださいました。 これは、キリストの死が殉教のためではなく、贖いのためであることを示してい ます。十字架上で彼はわたしたちの身代わりとなって、わたしたちの罪(複数)を 担われました。彼は義なる方であって、神の義にしたがい義なる神によって、不 義なわたしたちのために裁かれました。それは、彼がわたしたちの罪の障害を除 き、わたしたちを神にもたらすためでした。これは、わたしたちを罪から神へ、 わたしたちの不義なる生活態度から義なる神へと贖い戻すためでした。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「旧約ライフスタディ・創世記(四)」(1999年版)メッセー ジ第58編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。