知恵ある者から隠された事柄 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ10:21 その時、イエスは聖霊の中で歓喜して言われた、「父よ、天と地の 主よ、あなたをほめたたえます。あなたはこれらの事柄を知恵や学識のある者か ら隠して、みどりごたちに啓示してくださいました。そうです、父よ、このよう なことは、あなたの目に喜ばしいことであったからです。(22節)すべての事柄は、 わたしの父からわたしに渡されています。父のほか、子がだれであるかを知る者 はなく、子と子が父を啓示しようとする者のほか、父がだれであるかを知る者は いません」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 第10章21節で御子は、御父を賛美して、彼は「これらの事柄を知恵や学識のある 者から隠して、みどりごたちに啓示してくださいました」と言われました。「知 恵や学識のある者」とは、特に13節から15節にかけて述べられた三つの町の人々、 すなわち自分自身の目には賢く知恵がある人々を言うのでしょう。御父のみここ ろは、そのような人々から御子と御父についての認識を隠すことでした。21節の 「みどりご」は弟子たちのことを言っています。彼らは知恵の子たちでした。御 父は彼らに、御子と御父の両方を啓示することを喜ばれました。 わたしたちは自分自身を、知恵や学識のある者と見なすべきではありません。も し自分自身についてそのような見方をするとしたら、わたしたちは御子と御父の 啓示を受けないでしょう。わたしたちは自分自身を知恵や学識のある者と見なさ ないで、自分自身をみどりご、学識のない者たちと見なすべきです。御子と御父 についての認識をみどりごたちに啓示すること、しかし知恵や学識のある者から はそれを隠すことが、御父の目には喜びなのです。 22節で主は、父のほか子がだれであるかを知る者はなく、子と子が父を啓示しよ うとする者のほか父がだれであるかを知る者はない、と言います。ここの「知る」 という語は、単に客観的に知っているのではなく、全き認識を意味します。子に 関しては、父だけがそのような認識を持っておられ、父に関しては子だけがその ような認識を持っておられます。ですから、子を知るのには、父の啓示を必要と します(マタイ16:17)。そして、父を知るのには、子の啓示を必要とします(ヨハ ネ17:6、26)。第10章22節の「(啓示)しよう」という語は、協議を経た意志を熟 慮して行使することを意味します。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(二)」(1987年版)メッセ ージ24から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。