あらしのただ中で信仰を持つ(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ8:22 ある日のこと、イエスと弟子たちは船に乗り込んだ。イエスは彼らに、 「湖の向こう岸へ行こう」と言われた。そこで彼らは船を出した。(23節)船が進 んで行くうちに、イエスは眠ってしまわれた。すると、暴風が湖上を襲って、彼 らは水浸しになり、危険になった。(24節)そこで、彼らは近づき、イエスを起こ して言った、「ご主人さま、ご主人さま、わたしたちは滅びそうです!」。イエ スは目を覚まし、風と荒波をしかりつけられた。すると、それらはやんで、なぎ になった。(25節)イエスは彼らに言われた、「あなたがたの信仰はどこにあるの か?」。彼らは恐れ、驚いて、互いに言った、「この方はいったいどなただろう か? 彼が命じられると、風や水でさえ彼に従うとは?」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 新約聖書によれば、信仰は常に主の言葉に基づいています。もしわたしたちが主 からの言葉を持たなかったら、わたしたちは自分の信仰のために何の基礎も持た ないでしょう。主の言葉は信仰を生み出します。この事例において、主によって 弟子たちに与えられた言葉は何であったでしょうか? それは22節に記録された 言葉でした、「湖の向こう岸へ行こう」。主がこの言葉を語られた以上、確かに 彼はそれを成就されるのです。 弟子たちは主の言葉と臨在の両方を持っていた以上、あらしを心配することなく、 平安であるべきでした。主は湖の向こう岸に行くよう彼らに告げました。そして 主は彼らと共に船の中におられました。彼らはあらしに驚くべきではありません でした。 今日、主に従う者たちとしてのわたしたちの問題は、あらしが来るとき、わたし たちがしばしば主の言葉を忘れてしまうことです。さらに、わたしたちは主を見 るのではなく、あらしを見るかもしれません。旅をして主に従い、そしてあらし が起こるどんな時も、わたしたちは眠っておられる主を見るべきであって、あら しを見るべきではないことを、わたしたちはみな学ぶ必要があります。わたした ちはあらしを気にかけるべきではなく、主の言葉に注意を払うべきです。主は常 にご自身の言葉を成就されます。ですから、彼が向こう岸へ行くように告げられ るとき、たとえどのようなあらしが来ようとも、わたしたちは必ず向こう岸に着 くと確信してよいのです。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(二)」(1987年版)メッセ ージ19から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。