キリストを成長させるためにあなたの心を耕す(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ8:5 「種をまく者が、種まきに出かけた。彼がまいている時、ある種は道 ばたに落ちた。すると、足で踏みつけられ、空の鳥がそれを食べ尽くしてしまっ た。(11節)このたとえはこうである。種は神の言である。(12節)道ばたのものと は、御言葉を聞いた人たちである。やがて悪魔が来て、彼らの心から御言葉を奪 い取ってしまう。彼らが信じて救われることのないためである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第1編) ルカによる福音書第8章11節から15節の中でわたしたちは、種がその中にまかれ る四種類の心を見ます。第一種類の心は「道ばた」の土地になぞらえられます(5節)。 道ばたの土地とは、道路際の地です。この地は、多くの往来によって固く されました。その結果、小麦はその種の土地では成長することができません。道 ばたのような心、道路際の土地のような心では、この世の事柄の往来が多すぎる のです。もしわたしたちの心が生計を立てることに占有されているなら、わたし たちの心には往来が多すぎることでしょう。その結果、わたしたちの心はキリス トが成長するのに適当な土地ではなくなるでしょう。なぜなら、それはこの世の 往来で固くされた心となるからです。 わたしたちの心を対処する際、わたしたちは自分の心をこの世の往来から遠ざけ るべきです。これは、わたしたちの心が生計を立てる仕事で占有されるべきでは ないことを意味します。そうではなく、わたしたちは単純な生活を送るべきです。 しかしながら、多くの人たちは生計の糧を稼ぐことに奴隷となっています。彼ら の生活費が増せば増すほど、彼らは一層労苦する必要があります。彼らの生活の 水準を引き上げれば引き上げるほど、彼らは一層多く働く必要があります。ある 人は、高い生活水準を維持するために二つの仕事さえします。わたしたちはそれ とは反対に、わたしたちの生活を単純化すべきです。もしわたしたちが生活を単 純化するなら、わたしたちの心はこの世の往来から遠ざかることでしょう。 (月曜日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(二)」(1987年版)メッセ ージ18から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。