信仰、愛、平安(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ7:42 ところが、彼らは返すものがなかったので、金貸しは二人とも、気前 よく赦してやった。そこで、二人のうち、どちらが彼を多く愛するだろうか?  (43節)シモンは答えて言った、「気前よく多く赦してもらった者だと思います」。 イエスは彼に言われた、「あなたの判断は正しい」。(50節)しかし、イエスはそ の女に言われた、「あなたの信仰があなたを救ったのです。平安の中を行きなさ い」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第2編) わたしは幼いクリスチャンとしてこの章を読んだとき、救い主に対する女の愛が 彼女の罪が赦された原因であると思いました。主が彼女を赦したのは、彼女が主 を愛したからであるとわたしは思いました。この理解は正しくありません。 50節で主はその女に、彼女の愛ではなく、信仰が彼女を救ったのであると言われ ました。さらにまた、金貸しによって赦された二人の債務者について主は問われ ました、「そこで、二人のうち、どちらが彼を多く愛するだろうか?」。(42節) これは、明らかに愛が赦しの結果であることを示します。これについて、わたし たちは42節の「そこで」という言葉に注意を払う必要があります。この言葉は、 愛が赦しの後に来るのであって、それに先立つものではないことを証明します。 それでは、罪の赦しの原因は何でしょうか? 50節からわたしたちは、その原因 が信仰であることを見ます。救ったのは、その女の信仰でした。彼女の罪は、愛 のゆえにではなく、信仰のゆえに赦されたのです。こういうわけで、信仰が赦し の前に来ます。愛が信仰の後に続きます。 赦しが愛の前に来るのをわたしたちが見ることは、極めて重要です。わたしたち は、わたしたちの愛がわたしたちの罪の赦しの原因であると思うべきではありま せん。その反対に、愛はわたしたちの信仰の結果、成果です。わたしたちが主を 信じる時、わたしたちの信仰は、わたしたちの罪を主が赦される原因となります。 それから、わたしたちの罪が赦された結果として、わたしたちは主を愛し始めま す。ですから、愛は信仰から来るのです。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(二)」(1987年版)メッセ ージ7から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。