わたしたちは神聖な命を必要とする ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ6:43 良い木で腐った実を結ぶものはなく、また腐った木で良い実を結ぶも のもない。(44節)木はおのおのその実によってわかる。いばらからいちじくを集 める者はなく、いばらのやぶからぶどうを摘む者もない。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ルカによる福音書第6章17節から49節に述べられた原則を実行するためには、わ たしたちは神聖な命を必要とします。命は、あらゆる種類の存在、行ない、働き に対する基本的な要因です。もしわたしたちがある種類の命を持っていなければ、 わたしたちはその種類の存在を持つことはできませんし、わたしたちはある種類 の振る舞いを持つことも、ある種類の働きを達成することもできません。例えば、 りんごの木にはりんごの木の命があります。一本の木がりんごの木であるために は、りんごの木の命を持たなければなりません。同様に、ある動物が猿であるた めには、猿の命を持たなければなりません。ここで決定的に重要な点は、もしわ たしたちがある存在であろうとし、ある方法で振る舞おうとするなら、わたした ちはある種類の命を持たなければならないということです。命こそ、わたしたち の存在、振る舞い、働きの基本的な要因です。 人・救い主は、ルカによる福音書第6章に述べられた種類の命を持っておられます。 彼の死と復活の前、彼は自らそのような命を生きられました。しかし、彼は死と 復活を通して命を与える霊と成って、今やわたしたちの中に生きておられます。 彼の願いは、彼が地上で生きられたのと全く同じ種類の命を、わたしたちの中で 生きることです。ピリピ人への手紙第1章21節でパウロは、キリストを生きるこ とについて語っています。神・人であるキリストが地上におられた時、彼は最高 水準の道徳にしたがった生活を送られました。今やキリストは、わたしたちが彼 を生きるようにと、わたしたちの中で生きておられます。この最高水準の道徳は、 今やひとりのパースンであり、わたしたちの中に生きておられ、わたしたちがキ リストを生きることを可能にしているのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(二)」(1987年版)メッセ ージ15から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。