赦すことは忘れることである ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ6:37 また裁いてはならない。そうすれば、あなたがたも決して裁かれるこ とはない。罪定めしてはいけない。そうすれば、あなたがたも決して罪定めされ ることはない。赦し てあげなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。 ヘブル8:12 わたし(主)は彼らの不義に対してなだめとなり、もはや彼らの罪を 決して思い出さないからである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ここのルカによる福音書第6章37節では、裁くとは罪定めすることです。また赦 すとは免除することです。もしわたしたちが罪定めしないなら、わたしたちは決 して罪定めされることはないでしょう。同じように、もしわたしたちが赦すなら、 わたしたちは赦されるでしょう。 わたしは何年も前、C・H・スポルジョンが説教で赦しについて語ったことを聞 きました。その説教の中で彼は、クリスチャンが他の人を赦すのは難しいことを 指摘しました。わたしたちはだれかを赦したと思うかもしれませんが、わたした ちの赦しは、死んだ犬を葬っても、しっぽを出しておくようなものだと、彼は言 いました。わたしたちはだれかを赦した後に、「だれそれはわたしを傷つけたが、 わたしは彼を赦しました」と言うのです。これは、「犬」の「しっぽ」を見せる ことです。 もしわたしたちが真にだれかを赦したのでしたら、わたしたちはまた、その罪を 忘れるべきです。いったんわたしたちがある事でだれかを赦したなら、わたした ちはそれを二度と口に出すべきではありません。わたしたちが赦したはずの罪を 口に出す度ごとに、わたしたちは犬が葬られたことを他の人に見せるため、その 葬った犬のしっぽを引っ張り出しているのです。もしこのような事をするとした ら、それはわたしたちを傷つけた人をわたしたちが赦していないことを示します。 新約によれば、赦すことは忘れること、免除することを意味します。わたしたち はその罪を忘れ、傷つけた人を赦す必要があります。いったんこのことを行なっ たなら、わたしたちはそのことを二度と語るべきではありません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(二)」(1987年版)メッセ ージ15から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。