貧しい人たちは幸いである ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ6:20 さて、イエスは目を上げ、弟子たちを見て言われた、「貧しい人たち は幸いである。神の王国はあなたがたのものだからである」。 マタイ5:3 「霊の中で貧しい人たちは幸いである。天の王国は彼らのものだからである」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ルカによる福音書第6章20節の「貧しい」には、二つの意味があります。第一に、 それは物質的な事柄での貧しさを示しています。第二に、それは霊的な事柄での 貧しさを示しています。こういうわけで、ここの貧しいという言葉は、地的、物 質的事柄での貧しさと、天的、霊的事柄での貧しさを示しています。多くの時、 地的、物質的事柄に富んでいる人たちが、天的、霊的事柄において貧しくあるこ とは、困難です。その人が霊的事柄において貧しくなるためには、神が彼の物質 的な豊かさを取り去ることさえ必要であるかもしれません。もしわたしたちが祝 福された民であろうとするなら、わたしたちは貧しくあることが必要です。わた したちはおもに霊的事柄、天的事柄で貧しくあることが必要です。霊的事柄に関 しては、わたしたちが何も持っていないことと、わたしたちが貧しいことを、わ たしたちは感じ取るべきです。 マタイによる福音書第5章3節は、霊の中で貧しくあることについて語ります。霊 の中で貧しくあることは、へりくだるだけでなく、古い事柄にしがみつかないで、 わたしたちの霊の中で、わたしたちの存在の深みにおいて、空にされていること です。霊の中で貧しくあることは、新しい事柄を受け入れるために荷を降ろすこ とをも意味します。 わたしたち人の霊、わたしたちの存在の最も深い部分は、わたしたちが神に触れ、 霊的事柄を認識する器官です。わたしたちは神の王国を認識し所有するために、 わたしたちの存在のこの部分において貧しく、空で、荷が降ろされている必要が あります。いつもたしたちは霊の中で貧しくあり、霊的事柄に関して、神につい ての事柄に関して、自分は貧しいという感覚を内側深くで持っている必要があり ます。もしわたしたちがこのように貧しく、へりくだっているなら、直ちに神の 王国はわたしたちの祝福となります。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(二)」(1987年版)メッセ ージ14から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。