ヨベル!(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ4:18 『主の霊がわたしの上にある。彼が貧しい人たちに福音を宣べ伝える ように、わたしに油を塗られたからである。彼はわたしを遣わして、捕らわれ人 たちには解放を、盲人たちには視力が回復されることを告げ知らせ、圧迫されて いる人たちを解放して去らせ、(19節)主の受け入れる年、ヨベルの年を告げ知ら せるのである』。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第1編) 先回のメッセージでわたしたちは、主イエスが恵みのヨベルを告げ知らせること によってご自身の務めを開始されたことを指摘しました。第4章19節の言葉にお いて主は、主の受け入れる年を告げ知らせました。これは、ヨベルの年によって 予表される新約時代です(レビ25:8-17)。ヨベルの年は、五十年目の年、半世紀 の終わりでした。ですから、レビ記によれば、半世紀の終わりごとに、ヨベルの 年と呼ばれ、また受け入れる年とも呼ばれる年があったのです。受け入れる年と は、主が民を受け入れる年を象徴します。イザヤ書第61章に、このヨベルの成就 に関する預言があります。 半世紀は、堕落した人間生活の長さを象徴します。五十年目としてのヨベルの年 は、わたしたちの堕落した全生涯の終わりです。わたしたちの堕落した生涯の中 で、いったい何がわたしたちに起こったのでしょうか? わたしたちは自分の生 まれながらの権利を失いました。自分自身を捕囚に売りわたしました。そして奴 隷になりました。わたしたちは、自分の生まれながらの権利と地位を含むあらゆ るものを失いました。 何も失っていない人は、ヨベルの年を待ち望もうとはしないでしょう。事実その ような人には、ヨベルは一つの苦しみであるかもしれません。しかし、土地も自 分自身も含めてあらゆるものを失っている人は、必ずヨベルの年を待ち望むでし ょう。彼はヨベルの年が来る時、解放されることと土地の分け前に対する権利の 回復とで歓喜するでしょう。 (月曜日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(一)」(1987年版)メッセ ージ12から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。