イエス――神と人の前で恵まれる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカによる福音書第2章41節から51節を読んでください。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 43節から48節によれば、少年イエスはエルサレムに残っておられ、彼らの両親は そのことを知りませんでした。彼らは一行のうちに彼がいないことに気づいた時、 彼を捜しながらエルサレムに戻りました。彼らが彼を見いだすと、母親は彼に言 いました、「子よ、あなたはどうして、わたしたちをこんな目に遭わせたのです か? ご覧、あなたのお父さんもわたしも、とても心配して、あなたを捜してい たのです」(48節)。主は答えました、「なぜ、わたしを捜しておられたのですか?  わたしがわたしの父の事柄の中にいなければならないのを、ご存じなかったの ですか?」(49節)。これは、少年イエスが神の権益を顧慮しておられたことを示 します。49節の「わたしの父」という言葉は、少年イエスの神格を示します。人 性において、イエスは彼の両親の子でした。神格において、イエスは父なる神の 御子でした。 51節は、主イエスが「彼らと共に下り、ナザレに来て、彼らに服しておられた」 と言います。ここでわたしたちは、人である両親に対する彼の人性の服従を見ま す。第2章41節から51節でわたしたちは、主の二重の身分、すなわち神の子また 人の子としての彼の身分を再び見ます。神の子として、彼は神の権益を顧慮して おられました。人の子として、彼は人である両親に対して彼の人性において服従 されました。 52節において告げられていますが、人・救い主は神と人の前で、彼にあって現さ れた恵みにおいて増し加わっていきました。彼は神の心の願いにしたがって、神 の表現において成長しつつあったので、神の恵みにおいて増し加わっていきまし た。彼は、人に対して恵み深くある人性の美徳において成長しつつあったので、 人の恵みにおいて増し加わっていきました。こういうわけで、彼は神と人の前で、 神・人として成長しておられました。神も人もイエスを喜び、彼のことで幸いで した。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカによる福音書(一)」(1987年版)メッ セージ6から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。