キリストは角であり、昇る太陽である(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ1:78 わたしたちの神のあわれみ深い慈しみのゆえに、昇る太陽が高い所か らわたしたちを訪れ、(79節)暗やみの中に、また死の影の中に座っている者に輝 き、わたしたちの足を平安の道へと導きます。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) ザカリヤは、人性におけるキリストについて語った後、さらに彼の神格について 語ります(78-79節)。救い主イエスは、暗い時代にとっては夜明けの太陽です。 彼の到来は、旧約の夜を終わらせて、新約の昼を始めました。エリサベツの祝福 における実として(42節)、彼はわたしたちにとって命です(ヨハネ14:6)。ザカリ ヤの預言における太陽として、彼はわたしたちにとって光です(ヨハネ9:5、マタ イ4:16)。そのような方として、彼はご自身の民の救いのための神の贖いの達成 者また中心です。 第1章78節でザカリヤは主について、高い所からやって来る昇る太陽として語り ます。救いの角はダビデの家からですが、昇る太陽は高い所、すなわち神からで す。これが意味することは、主が高い所からやって来る昇る太陽であるのは、彼 の神格においてであるということです。 69節と78節のザカリヤの言葉を比較すると、彼がキリストの二重のパースンにつ いて語っているのがわかります。彼は、キリストの人性と神格に関して語ってい ます。キリストはご自身の人性においては、人性の家であるダビデの家において 神によって起こされた救いの角です。彼の神格においては、天からやって来る昇 る太陽です。こういうわけで、主は神と人との両方です。人として、彼は救いの 角です。神として、彼は昇る太陽です。神の民の救いのための神の贖いのみわざ は、救いの角と昇る太陽の二つの面におけるキリストを起こすことによって達成 されます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカによる福音書(一)」(1987年版)メッ セージ5から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。