マリヤの賛美(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ1:48 主は、ご自身のはしための卑しい身分を顧みてくださったからです。 ご覧なさい。今から後、すべての世代の人が、わたしを幸いな者と言うでしょう。 (49節)力ある方が、わたしのために大いなる事をしてくださったからです。彼の 御名は聖です。(50節)また彼のあわれみは、代々に至るまで、彼を畏れる者の上 にあります。 ――――――――――――――務めの言葉―――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) マリヤとザカリヤはいずれも神のあわれみを強調し、彼らの卑しい身分を認識 し(48節)、へりくだって(52節)、彼らが神によって愛顧されるに値しないこと を認めています。神のあわれみと神の恵みは、両方とも神の愛の表現です。わた したちがあわれな状態にある時、神のあわれみはまずわたしたちに届き、神がわ たしたちを彼の恵みをもって愛顧することのできる状態にもたらします。神のあ われみはさらに遠くにまで届き、わたしたちと神の恵みとの間の隔たりを橋渡し します。神の恵みを受けるために、わたしたちはそれにふさわしい状態にあるこ とが必要です。しかしながら、マリヤは、自分と当時のすべての人々が貧しい状 態にあったことを認識していました。彼女たちはあわれな状態にありましたから、 神のあわれみを必要としました。 マリヤは、神のあわれみと彼の力あるみわざのゆえに神を賛美しました。51節と 52節で彼女は言います、「彼は、御腕をもって力ある事を行なわれました。彼は、 心の思いが高ぶっている者を散らされました。彼は、権力ある者をその王座から 引き下ろし、低い者を高く上げられました」。神は、卑しい身分にある彼の民を 顧みることで、力ある事を行なわれました。彼らの身分はとても卑しかったので、 彼らは自分たちに届く神のあわれみを必要としました。なぜなら、彼のあわれみ は彼の恵みより遠くにまで及ぶからです。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカによる福音書(一)」(1987年版)メッ セージ4から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。