イエス――ミングリングされた方 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ1:31 見よ、あなたは胎内に身ごもって男の子を産みます。彼の名をイエス と呼びなさい。(35節)御使いは彼女に答えて言った、「聖霊があなたに臨み、い と高き者の力があなたを覆うでしょう。それゆえ、生まれる聖なる者は、神の子 と呼ばれます」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主の二つの本質は単に付け加えられたものではありません。そうではなく、人・ 救い主が胎に入られたことにおいて、神聖な本質と人の本質とがミングリングさ れました。このミングリングを誤解した人たちは、それが第三の性質を生じさせ て、神性でも人性でもないものになったと言いました。主イエスに関してこのよ うに言うことは異端です。これは、「ミングリング(混ざり合わされる)」という 言葉についてのわたしたちの理解ではないことを、わたしたちは明確にしたいと 思います。わたしたちはウエブスター大辞典に与えられているこの言葉の第一の 定義に同意します。すなわち、ミングリングとは、「(一つのものを他のものと、 あるいは二つまたはそれ以上のものを一緒に)結び合わせることである。特に、 もともとの要素が、その結合においても区別し得られること」です。この定義に よれば、二つあるいはそれ以上のものが一緒にミングリングされる時、それらの もともとの性質は失われないで、依然として区別され得るのです。 ミングリングの例証として、お茶を用いてもよいでしょう。お茶が飲み物となる ため水とミングリングされる時、茶の本質も水の本質も失われることはありませ ん。失われるどころか、両方の本質はそのままです。それらは第三の性質、すな わちお茶でも水でもないものを生み出すのではありません。わたしたちの救い主 は、神聖な本質から胎に入られ、人の本質から生まれました。こういうわけで彼 は、神性と人性とがミングリングされて第三の性質を生み出すことがなく、二つ の本質を持つひとりの方です。主は二つの本質を持っておられますが、彼は依然 としてひとりの完全な方、神でも人でもあられる方です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカによる福音書(一)」(1987年版)メッ セージ1から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。