人・救い主は、神であり人である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ1:31 見よ、あなたは胎内に身ごもって男の子を産みます。彼の名をイエス と呼びなさい。(34節)そこで、マリヤは御使いに言った、「わたしは男の人を知 らないのに、どうしてそのようなことがあるのでしょうか?」。(35節)御使いは 彼女に答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたを覆うで しょう。それゆえ、生まれる聖なる者は、神の子と呼ばれます」。 ――――――――――――――務めの言葉―――――――――――――――― わたしたちは、主イエスが人・救い主であることを見る必要があります。彼は 人・救い主として、聖霊から神聖な本質をもって胎に入りました。ルカはわたし たちに、人・救い主がどのように胎に入ったかを告げています。彼は人から胎に 入ったのではなく、聖霊から神聖な本質をもって胎に入ったのです。ここでわた したちが用いている「本質」という言葉は強い意味を持っており、性質よりもさ らに内在的なものを指しています。本質とは、ある物質の内在的な構成要素です。 人・救い主は、聖霊から、神聖な性質をもってだけでなく、神聖な本質をもって 胎に入ったのです。 第1章27節と31節は、マリヤという名の処女が胎内に身ごもって、イエスという 名の男の子を産んだことを見せています。人・救い主は、聖霊から神聖な本質を もって胎に入り、また人の処女から人の本質をもって生まれたので、彼には二つ の本質、すなわち神聖な本質と人の本質があります。彼には、神聖な本質と人の 本質とのミングリングがあります。人・救い主とは対照的に、わたしたちには一 つの本質、人の本質があるだけです。というのは、わたしたちは人から胎に入り、 女から生まれたからです。わたしたちの救い主は違います。なぜなら、彼は聖霊 から胎に入り、人の処女から生まれたからです。聖霊には神聖な本質があり、人 の処女には人の本質があります。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカによる福音書(一)」(1987年版)メッ セージ1から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。