信仰は感覚ではない ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 2コリント5:7 (なぜなら、わたしたちは見えるものによってではなく、信仰 によって歩くからです) ローマ10:17 ですから、信仰は聞くことから来るのであり、聞くことはキリス トの言葉によるのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ある人は、望むことや、祈ることや、待つことをしませんが、感覚を求めていま す。ある姉妹は、自分は降伏して、主が自分の中で生きておられることを信じた けれども、自分が勝利を得たと言うつもりはない、と語りました。その理由は、 彼女が主イエスを自分の勝利として受け入れた日以来、彼女は一度もその感覚を 持ったことがなかったからでした。感覚が役に立つ場合もあるかもしれません。 しかしながら、神の事柄を理解することにおいては、感覚は役に立ちません。手 は物に触れて、その熱さ冷たさを感じ取ることができるだけであり、絵を見るこ とはできません。霊的な事柄は、信仰によってのみ実体化されることができるの であって、感覚によって実体化されることはできません。わたしたちは神の御言 のゆえに勝利を得るのです。神が語られると、それは成されます。これは、数日 もの間、ある種の力を感じるとか、あふれるばかりの感覚を経験するとかの問題 ではありません。勝利を得るためには、主からの一句の言葉があればそれで十分 です。 神はわたしたちに契約を与えてくださいました。それは、柔和がわたしたちのも のであり、忍耐がわたしたちのものであり、謙そん、愛、節制、キリストの中に あるすべてのものがわたしたちのものである、と言っています。しかし、あなた が再び短気を起こし、あなたの高ぶり、汚れ、失敗が戻ってくる時、あなたはど うすべきでしょうか? もしあなたが神の御言を信じるのであれば、あなたは次 のように言うべきです、「神よ、わたしはあなたに感謝し、賛美します。なぜな ら、わたしは、柔和、忍耐、謙そん、愛、節制を持つことができるからです。わ たしがこれらすべてを持つことができるのは、キリストがわたしの中に生きてお られるからです」。あなたが神の御言をしっかりとつかんでいる限り、あなたが 恐れているものは離れ去るでしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第24巻「勝利を得る命」(1997年版)メッセージ第7編か ら引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。