キリストの中で聖別される ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒26:18 彼らの目を開き、彼らを暗やみから光へ、サタンの権威から神に立 ち返らせるのである。それは、わたしにある信仰によって、彼らが罪の赦しと、 聖別された人たちの間での嗣業を受けるためである。 1テサロニケ5:23 そして平和の神ご自身が、あなたがたを徹底的に聖別し……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 使徒行伝第26章18節によれば、神聖な嗣業は、キリストにある信仰によって聖別 された人たちの間にあります。この聖別は地位上のものであるだけでなく、性質 上のものでもあります(ローマ6:19, 22)。聖別(聖とされること)は、マタイによ る福音書第23章17節と19節で例証されているように、地位の問題、すなわち世俗 的な、世的な地位から神のための地位へと分離されるということだけではありま せん。そこでは、金は宮によって聖別され、ささげ物は場所が変わったことを通 して祭壇によって聖別されます。また、テモテへの第一の手紙第4章3節から5節 の中で、食物は聖徒たちの祈りによって聖別されます。 聖別はまた性質上の問題でもあります。すなわち、コリント人への第二の手紙第 3章18節とローマ人への手紙第12章2節で述べられているように、天然の性質から 霊的な性質へと造り変えられることです。これは長い過程を含みます。すなわち 再生に始まり、全クリスチャン生涯を経過し、携え上げの時、命の円熟の時に完 成されるのです(1テサロニケ5:23)。 地位的に聖別されるとは、地位と用途において変化するだけです。性質的に聖別 されるとは、神の聖なる性質によって、またそれをもって性質において造り変え られることです。聖別は、わたしたちの所有である神をもって浸透飽和されるこ とであり、それはわたしたちの今日の享受のためです。それは神聖な命の円熟に おいて完成します。それはわたしたちが神に似るためであり、また来たるべき時 代においても、永遠にわたっても、彼をわたしたちの嗣業として完全に所有し享 受するよう資格付けられるためです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(四)」(1980年版)メッ セージ69から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。