完全な正しい良心の中で振る舞う ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒23:1 そこで、パウロは、サンヒドリンをじっと見つめながら言った、「み なさん、兄弟たち、わたしは今日まで、神の御前で、完全な正しい良心の中で振 る舞ってきました」。 24:16 「このことで、わたしも神と人々に対して、とがめのない良心を常に持 とうと、自分自身を訓練しております」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 人が堕落してエデンの園から追い出された後、神は、人が自分自身の良心に責任 を持つことを願われました。しかし、人は良心にしたがって生き、歩むことに失 敗して、ますます悪い状態に落ち込みました(創6:5)。洪水の裁きの後、神は、 人が人間の統治の下にあるように定められました(創9:6)。人はこれにもまた失 敗しました。そこで、キリストにあって諸国民を祝福することに関するアブラハ ムに対する約束を成就する前に(創12:3)、神は人を律法のテストの下に置きまし た(ローマ3:20、5:20)。人はこのテストに完全に失敗しました。これらすべての 失敗は、人が神から人の良心へと堕落し、人の良心から人間の統治へと堕落し、 さらに人間の統治から不法へと堕落したことを示します。このようにして、人は 極限にまで堕落しました。 パウロが行なったように、「神の御前で、完全な正しい良心の中で」振る舞うこ とは、堕落から神への大きな転換でした。パウロは、自分を不法な向こう見ずな 者であるとまで訴えた人々の前で、自分を擁護するためにこの言葉を語りました。 彼は、第24章16節の弁明の中で、もう一度、良心について述べています。これは、 ユダヤの宗教家たちの偽善と、ローマの政治家たちの不正とは対照的に、彼の高 い道徳の標準を示しました。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(四)」(1989年版)メッ セージ62から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。