主の動きに対して最新である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒18:25 この人は主の道について教えを受けており、霊に燃えて、イエスに ついての事柄を正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知 らなかった。(26節)この人は会堂で大胆に語り始めた。すると、彼の話を聞いた プリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に解き明かし た。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちは使徒行伝第18章から、アポロがとても良かったことを見ることがで きます。しかしながら、アポロは主の道を知ってはいましたが、神のエコノミー を十分に知りませんでした。この認識の欠如は、彼がヨハネのバプテスマしか知 らなかったという事実によって示されます。主の動きについての認識においては、 彼はバプテスマのヨハネの務めより先に進んでいませんでした。 使徒行伝第18章におけるアポロの事例には、わたしたちの学ぶべき学課がありま す。わたしたちは主の道にいると思っているかもしれませんが、実際には主の動 きについて最新ではないかもしれません。わたしたちはみなへりくだって、わた したちの霊を空にする必要があります。主イエスは言われました、「霊の中で貧 しい人たちは幸いである。天の王国は彼らのものだからである」(マタイ5:3)。 霊の中で貧しいとは、へりくだっているだけでなく、わたしたちの霊の中で、わ たしたちの存在の深い所で空にされていることです。多くのユダヤ人指導者たち は、旧約における神の動きについて知っていました。しかし、神が彼の新約エコ ノミーのために新しい始まりを持とうとされたことを見ていませんでした。これ らの宗教的な指導者たちは、彼らの霊の中が満ちていました。こういうわけで、 主イエスは、わたしたちがみな自分の霊の中で貧しくなることが必要であると指 摘されたのです。 主は常にご自身の動きにおいて前進しておられますから、わたしたちは今いると ころで満足すべきではありません。そうではなく、へりくだって、わたしたちの 霊を満たしているあらゆる荷を下ろすべきです。それは、わたしたちの霊が主の 動きについて新しいものを受けることができるためです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(三)」(1989年版)メッ セージ50から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。