パウロの宣べ伝え ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒13:33 すなわち、神は彼を復活させて、子孫であるわたしたちに、この約 束を完全に成し遂げられました。それは詩篇第2編にも、『あなたはわたしの子 である。今日わたしはあなたを生んだ』と書き記されているとおりです。 (34節)また、神がイエスを死人の中から復活させ、もはや腐敗の中に戻ることが ないことについて、神はこのように言われました、『わたしは、ダビデのあの聖 なるもの、信実なものを、あなたがたに与える』。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― パウロは使徒行伝第13章の宣べ伝えにおいて、キリストが復活の中で神の長子と なられたことを示しています。パウロは詩篇第2篇7節を復活のキリストに適用し、 キリストにとって復活は一つの誕生であったことを示しています。わたしたちは、 キリストの復活が彼の誕生であったことを認識していないかもしれません。聖書 によれば、人性におけるキリストは、復活の中で神から生まれて神の長子となっ たのです。神のひとり子は神聖な命の具体的表現のためですが、神の長子はこの 神聖な命の増殖のためです。復活の中で彼が長子として生まれたのは、神聖な命 が増し加わる複製のためでした。 パウロはまた御言葉を「掘り出す」ことにおいて、キリストが復活の中でダビデ のあらゆる聖なるもの、また信実なもの、信頼できる確かなものとなられたこと を見いだしました。パウロは、「ダビデの確かなあわれみ」(イザヤ55:3、原文) が復活におけるキリストのことを言っているのを認識しました。今日ある人たち は詩篇第89篇1節を歌って享受しています、「わたしは、主のあわれみを、とこ しえに歌います。あなたの信実を代々限りなく、わたしの口で知らせます」(原 文)。 しかしながら、この詩篇を歌う人たちは、あわれみが何であるかについて十分な 理解を持っていないかもしれません。彼らは、あわれみとは神がわたしたちに対 して持たれるあわれみの感情にすぎないと思うかもしれません。しかし、パウロ の理解によれば、主のあわれみは、第二の誕生におけるキリスト、すなわち復活 の中のキリストです。パウロの御言葉の掘り下げはすばらしいです。わたしたち は彼の聖書の学びに驚嘆します。使徒行伝第13章で、パウロはすべてを含むキリ ストを宣べ伝えたのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(三)」(1989年版)メッ セージ39から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。