わたしたちの赦しと義認であるキリスト ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒13:38 こういうわけで、みなさん、兄弟たち、知ってください。この方を 通して、罪の赦しがあなたがたに宣べ伝えられているのです。(39節)そして、あ なたがたがモーセの律法によって義とされ得なかったどんな事についても、この 方を信じる人はすべて義とされるのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 38節と39節の両方で、パウロは「この方」について語ります。この方とはだれで しょうか? この方とは、復活して、神の長子、わたしたちの救い主、多くの聖 なるもの、また信実なものとなられた方です。こういうわけで、わたしたちに対 する神のあわれみとしての聖なるもの、また信実なものである方を通して、わた したちは赦され、義とされます。 長子、救い主、聖なるもの、信実なものである方を通して、罪の赦しはわたした ちに告げ知らされました。またこの方を通して、わたしたちはモーセの律法によっ て義とされ得なかったすべてのものから義とされるのです。 わたしたちを赦し、義とする方は、わたしたちの救い主であるだけではありませ ん。彼ご自身がわたしたちの赦しであり、わたしたちの義認です。赦しも義認も、 神がわたしたちに与えてくださるあわれみであり、このあわれみは、復活のキリ ストの各面です。今日、キリストは復活の中で、わたしたちの赦しであり、また わたしたちの義認です。赦しと義認を何かキリストとは別のものであると決して 考えてはいけません。赦しも義認も、神がわたしたちに与えてくださるあわれみ としてのキリストご自身の各面です。そして、このあわれみは、聖なるもの、ま た信実なものです。 あなたは、赦しと義認は神がわたしたちに与えてくださった賜物であると考えま せんか? あなたは、この赦しと義認が、聖なるもの、また信実なものであると 信じませんか? 確かに、赦しと義認は神からの賜物です。そして、それらは確 かに聖なるもの、また信実なものです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(三)」(1989年版)メッ セージ39から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。