キリストは聖なるものと信実なものである(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、実際であり、命であ る。わたしを通してでなければ、だれも父に来ることはない」。 1コリント1:30 しかし、あなたがたがキリスト・イエスの中にあるのは、神に よるのです。このキリスト・イエスは、わたしたちに至る神からの知恵、すなわ ち、義と聖別と贖いとなられました。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) これらの聖なるもの、信実なものとは何でしょうか? それらはキリストが何で あるかのあらゆる面です。新約によれば、キリストは命、光、恵み、義、聖、聖 別、義認です。彼はまた命のパンであり、生ける水です。さらにまた、聖なるも の、信実なものとは、コリント人への第一の手紙に啓示されているキリストのあ らゆる面を含みます。すなわち、彼は力、知恵、義、聖別、贖い、栄光、神の深 み、神の建造の唯一の土台、過越、種なしパン、霊の食物、霊の飲み物、霊の岩、 かしら、からだ、初穂、第二の人、最後のアダムです。わたしたちはヨハネによ る福音書においてキリストについてさらに多くの面を見ます。例えば、牧者や牧 場などです。ああ、キリストは何とわたしたちにとって聖なるもの、また信実な ものでしょう! キリストは復活した方として、長子、救い主、すべての聖なる もの、また信実なものです。 旧約では、聖なるもの、また信実なものは、あわれみと考えられています。あな たは何があわれみであるかを知っていますか? あわれみは、愛と恵みの両方を 含みます。しかし、あわれみは愛よりもさらに遠くにまで届きます。愛と恵みが 届くことのできない所に、あわれみは届きます。すべての聖なるもの、また信実 なものとは、わたしたちへのあわれみとしてのキリストご自身です。命は一つの あわれみです。光もあわれみです。これらのあわれみのあらゆる面を数えてご覧 なさい。時間をかけて数え上げるなら、あなたはあわれみの長いリストを持つで しょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(三)」(1989年版)メッ セージ38から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。