あわれみと恵みの両方を得る ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ9:15……「わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、慈しもうとす る者を慈しむ」。 11:15 それと同じように、現在の時にも、恵みの選びによって残された 者[レムナント]がいるのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― あわれみと恵みを、神の選びと関係づけて理解することは幾らか困難です。わた したちは永遠の過去、神に選ばれ、あらかじめ知られていましたが、神が来てわ たしたちを召された時、わたしたちはあわれな状態、神のあわれみを必要とする 状態にいました。敵、悪魔は、神に対して「あなたの選びであるこの者をご覧な さい。何と彼はあわれでしょう!」と言ったかもしれません。その時、神はサタ ンに次のように言われたことでしょう、「サタンよ、これは、わたしがあわれみ を示す絶好の機会であることがわからないのか? そのようなあわれな人がいな いなら、どうしてわたしはあわれみを示すことができるか? もしすべての人が 完全で、おまえの標準に合っているなら、わたしにはあわれみを示す者がいない。 サタンよ、この選ばれた人は、わたしのあわれみの対象となるにふさわしい人だ」。 恵みについてはどうでしょうか? すでに見てきたように、恵みとは、わたした ちの中に造り込まれた神です。わたしたちは、神のあわれみの対象であるだけで なく、彼の恵みの対象でもあります。わたしたちは神のあわれみの下にあり、彼 の恵みはわたしたちの内にあります。わたしたちはみな、最もあわれむべき惨め な者であったのに、神が入って来て彼のあわれみを与えてくださり、わたしたち は悔い改めたのであると、証しすることができます。まさにその時、神聖なもの、 神の恵みが、わたしたちの中へ造り込まれました。今やわたしたちは神のあわれ みの下にあるだけでなく、彼の恵みを、わたしたちの内側におられるその霊とし てのキリストの生けるパースンを持っています。これが神の選びです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・創世記(四)」(1999年版)メッセージ66 から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。