キリストの達成は一度限りで永遠である(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)――――――――――――― 1ペテロ1:19 傷もしみもない小羊の血のような、キリストの尊い血によるので す。(20節)その方は、世の基の置かれる前から、あらかじめ知られていましたが、 この終わりの日に、あなたがたのために現されました。 ヘブル9:14 まして、キリストが永遠の霊を通して、傷のないご自身を神にささ げられたその血は、なおさらわたしたちの良心をきよめて、死んだわざから離れ させ、生ける神に仕えるようにさせないでしょうか? ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全4編のうちの第2編) キリストは世の基が置かれる前に、神の予知にしたがって彼の選びの民のために 贖いの小羊となるよう神によってあらかじめ定められ、用意されました。これは、 キリストが永遠の中であらかじめ知られ、また備えられたことを意味します。し かし、彼の死は時間の中で成し遂げられました。それは時間の中で成し遂げられ ましたが、キリストの贖いは永遠のものです。キリストがご自身の死を通して成 し遂げられたことは永遠のものですから、ヘブル人への手紙第9章12節では永遠 の贖いと呼ばれています。 キリストの十字架は永遠ですから、パウロは「わたしはキリストと共に十字架に つけられました」(ガラテヤ2:20)と言うことができました。パウロと一緒にわた したちもまた、キリストと共に十字架につけられたと宣言することができます。 これは、生まれるよりずっと前にわたしたちがキリストと共に十字架につけられ たことを意味します。わたしたちはいつキリストと共に十字架につけられたので しょうか? わたしたちは、世の基が置かれた時から彼と共に十字架につけられ たのです。こういうわけで、わたしたちは生まれる前に十字架につけられました。 キリストは世の基が置かれた時から十字架につけられたのですから、悔い改めた 罪人が自分のために主イエスが死んでくださるよう求める必要はありません。も しこのようなことが必要だとしたら、主は何度も繰り返し死ぬ必要があったこと でしょう。しかしながら、彼は一度限り十字架につけられました。彼は一度限り 死なれたのです。 (明日へ続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(二)」(1988年版)メッ セージ31から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。