神に対する献身から光が昇る ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ7:17 だれでも彼のみこころを行なおうとするなら、その教えについて、 それが神からのものか、それともわたしが自分から語っているのかを知るであろ う。(18節)自分から語る者は、自分の栄光を求める。しかし、遣わされた方の栄 光を求める者は、真実であり、彼の中に不義はない。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ある人は、「なぜ他の人には光があるのに、わたしには光がないのでしょうか?」 と言うかもしれません。サムソンの物語によれば、彼の髪の毛がそり落とされた 時、彼の力は去ってしまい、彼は目を失ってしまいました(士16:20-21)。わたし たちに光がなく、わたしたちが盲目であるのは、わたしたちが徹底的な献身をし ていないからです。主は言われました、「なぜなら、あなたの宝のある所に、あ なたの心もあるからである。目は体のともし火である。……しかし、あなたの目 が悪ければ、あなたの全身は暗い。もし、あなたの中にある光が暗ければ、その 暗さはどれほどであろう!」(マタイ6:21-23)。わたしたちの心が主にどれだけ 向いているかが、わたしたちの内側の霊的な目がどれだけ開かれているかを決定 します。神の子供たちに光がないのは、彼らが神に対する心を持っていないから です。彼らに力がないのは、彼らの献身があまりにも少ないからです。わたした ちの心が十分に神に向けられていない時、わたしたちの献身が不十分である時、 わたしたちが神の要求に完全に答えることをしない時、神はわたしたちの中で突 破することができないのです。もしわたしたちの献身が徹底していれば、それは 霊的豊富と天の祝福をもたらすでしょう。すべての兄弟姉妹が主のためであり、 献身が徹底していれば、福音は至る所で宣べ伝えられ、天の祝福は至る所に注が れるでしょう。 兄弟姉妹よ、わたしたちが真の力を持ちたければ、真の光を持ちたければ、天の 祝福を持ちたければ、神の要求に答える以外に方法はありません。わたしたちが どれだけ神に献身するかが、どれだけわたしたちが神から力を受けるかを決定し ます。どうかわたしたちが神を妨げることがありませんように。神が道を持たれ るためには、わたしたちの心は神に向いていなければなりません。わたしたちは 神の要求に答えなければなりません。また神にわたしたちを通して流れ出ていた だかなければなりません。そうでなければ、わたしたちはただわたしたちの神を 妨げるだけでしょう。神が願われることは、わたしたちが心を神に向け、神の要 求に答えることです。神はご自身の働きにおいて、人を必要とされます。もしわ たしたちが神の要求に答えなければ、神の要求に答えて神のみこころを遂行する 別の人を、神は見つけなければならなくなるでしょう。どうか神が、神に対する わたしたちの心の願いを強めてくださいますように。そして、わたしたちを通し てご自身のみこころを遂行してくださいますように。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第28編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。