一度限りでからだ全体をバプテスマする ――――――――――――――聖書の節(回復訳)――――――――――――― 使徒2:1 さて、ペンテコステの日が満ちた時、彼らはみな同じ場所に集まって いた。(4節)すると、彼らはみな聖霊で満たされ、その霊が彼らに語り出させる ままに、さまざまな言語で語り始めた。 (10:31)言いました、『コルネリオよ。あなたの祈りは聞かれ、あなたの施しは 神の御前で覚えられている。(44節)ペテロがまだこれらの言葉を語っているうち に、聖霊が、その言を聞いているすべての人の上に下った。 1コリント12:13 なぜなら、わたしたちはユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自 由人も、みな一つ霊の中で、一つからだの中へとバプテスマされ、みな一つ霊を 飲むようにされたからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― このメッセージでわたしたちが見るべき主要なことは、からだのかしらが彼のか らだを、実は彼ご自身であるすべてを含む霊の中へとバプテスマすることを完成 されたということです。ペンテコステの日に、からだのかしらであるキリストが、 ユダヤ人信者たちをその霊の中へとバプテスマしたことを、わたしたちは指摘し ました。それは、キリストがからだをその霊の中へとバプテスマした第一段階、 第一の実例でした。次にコルネリオの家で、からだのかしらである彼は、すべて の異邦人信者をその霊の中へとバプテスマしました。これは第二段階、第二の実 例でした。これら二つの段階、二つの実例によって、からだのかしらであるキリ ストは、彼のからだ全体をその霊の中へとバプテスマしたのです。 すでに見てきましたように、第一はペンテコステの日のユダヤ人信者たちの事例 であり、第二はコルネリオの家の異邦人信者の事例です。これら二つの事例は、 聖霊のバプテスマが達成されたことの二つの実例でした。聖霊が信者たちの上に 臨んだ他の三つの事例、すなわちサマリヤの信者たちの事例、タルソのサウロの 事例、エペソの信者たちの事例は、聖霊のバプテスマとは呼ばれていません。さ らにまた、使徒行伝に記録された多くの回心の事例には、聖霊がエコノミー的に 信者の上に下ったという記述がありません。どうかわたしたちすべてが、使徒行 伝の二つの事例だけが聖霊のバプテスマと呼ばれていること、そしてこの二つの 事例を通して、からだのかしらであるキリストが一度限りで聖霊の中に彼のから だをバプテスマすることを達成されたことを見ますように。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(二)」(1988年版)メッ セージ30から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。