古いものから新しいものへの移行 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヘブル8:7 もし、あの第一の契約に欠けたところがなかったなら、第二のもの を求める余地はなかったでしょう。(8節)神は彼らをとがめて言っておられます、 「主は言われる、見よ、その日が来る。わたしはイスラエルの家とユダの家に、 新しい契約を完成する。(10節)それらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結 ぶ契約はこれであると主は言われる。わたしはわたしの律法を彼らの思いの中に 分け与え、それを彼らの心に書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたし の民となる。(11節)そして、彼らはそれぞれ同じ国民に、またそれぞれ兄弟に教 えて、『主を知れ』と言うことは決してない。それは、小さな者から大きな者ま で、彼らがみな、わたしを知るからである。(12節)わたしは彼らの不義に対して なだめとなり、もはや彼らの罪を決して思い出さないからである」。(13節)彼は 「新しい契約」と言って、第一のものを古いとされたのです。古くなり、また衰 えていくものは、すぐに消え去ります。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 使徒行伝第10章においてわたしたちは、神のエコノミーに関する一つの重大な事 柄、すなわち経綸上の移行の必要性を見ます。旧約では、神のエコノミーは型、 予表、預言という経綸の中にありました。旧約に、神のエコノミーの達成は全く ありませんでした。最終的に、三一の神が来て、神の義、聖、栄光によって要求 されたあらゆる事柄を達成して、ご自身のエコノミーを遂行しました。来られた のは御子だけでなく、御子が御父を伴って、その霊を通して来られました。神の エコノミーを遂行するとは、ご自身を彼の選びの民の中に分与して、彼が人性と 徹底的にミングリングされ、神とその選びの民のために永遠の住まいを建造する ことであり、それは彼が永遠にご自身の全き表現を得られるためです。 神がご自身の三一の中で来て、エコノミーを遂行するために必要とするあらゆる 事を達成されたからには、経綸上の移行がありました。一方において、神はこの 移行のためにユダヤ人を用いないわけにはいきませんでした。もう一方で、ユダ ヤ教はこの移行にとって最大の障害でした。四福音書の中で、ユダヤ教と主イエ スとの間に、争い、対決があったのを、わたしたちは見ることができます。主は 来て、その移行に着手されました。すなわち、その変化に着手されました。しか し、ユダヤ教はこの変化を妨害しようとしました。福音書において始まったこの 争いは、使徒行伝において続きました。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(二)」(1988年版)メッ セージ29から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。