道 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)――――――――――――― 使徒9:1 さて、サウロはなおも、主の弟子たちに対する脅迫と殺意に息をはず ませて、大祭司のもとに行き、(2節)彼からダマスコの諸会堂あての手紙を求め た。それは、この「道」の者であるとわかったなら、男でも女でも縛り上げて、 エルサレムへ引いて行くためであった。 ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり……」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 使徒行伝第9章2節は、サウロの意図が「この道の者」を見つけ出し、「縛り上げ て、エルサレムへ引いて行くため」であったと言っています。ここの「道」とは、 神の新約エコノミーにおける主の完全な救いを意味します。それは、キリストの 贖いとその霊の油塗りを通して、神がご自身を信者たちの中に分与される道です。 それは、信者たちが神にあずかり、神を享受する道です。それは、信者たちが神 を享受することによって、霊の中で神を礼拝し、またイエスと一つになることに よって、迫害されたイエスに従っていく道です。それは、信者たちが教会にもた らされ、建造されてキリストのからだとなり、イエスの証しを担う道です。 第9章2節の道は、ペテロの第二の手紙第2章で語られている真理の道、真っすぐな 道、義の道を含みます。真理の道とは、真理にしたがったクリスチャン生活の道 であり、それは新約の内容の実際です。この道は、そのさまざまな特徴によって それぞれ異なる名称をつけられています。例えば、真っすぐな道、義の道、平和 の道(ルカ1:79)、救いの道(使徒16:17)、神の道(マタイ22:16)、主の道(ヨハネ 1:23)、道(使徒19:9, 23)などです。それは異端の道としてそしられました(使徒 24:14)。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(二)」(1988年版)メッ セージ25から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。