旧約から新約への経綸の変化 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ6:14 罪はあなたがたを支配するはずはありません。なぜなら、あなたが たは律法の下にではなく、恵みの下にいるからです。 ガラテヤ2:21 わたしは神の恵みを無にしません。なぜなら、もし義が律法を通 してあるとすれば、キリストは無駄に死んだことになるからです。 ローマ8:2 なぜなら、命の霊の法則が、キリスト・イエスの中で、罪と死の法 則から、わたしを解放したからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― イスラエルの子たちは、モーセを通して律法を与えられました。彼らはまた、宮、 祭司、ささげ物を含む礼拝の体系も持っていました。イスラエルの子たちにはそ の礼拝の中心として、律法と宮という二つの主要なものがありました。律法も宮 もキリストの予表でした。書かれた律法と物質的な宮を持つことは、神の意図で はありません。神の意図は、神の新約エコノミーのために、命の法則としての生 けるキリストと、生ける宮としてのキリストを持つことです。神はキリストを、 わたしたちの内側では生ける律法として、またわたしたちの外側では生ける宮と して持つことを願われます。それは、彼がその新約エコノミーを遂行するためで す。このエコノミーは絶対的に、三一の神がご自身をその選びの民とミングリン グさせて、一つの団体的な実体を生み出し、ご自身を表現するという事柄です。 これこそ創世記における最初からの神の意図でした。しかしながら、イスラエル の子たちは死んだ文字にしたがって、伝統的な方法で律法と宮を尊重しました。 古い経綸は、律法と宮の経綸でした。新しい経綸は、命の法則また生ける宮とし てのキリストの経綸です。わたしたちは伝統から連れ出されて、神の純粋な新約 エコノミーに連れ戻されるために、主の移行に対して明確であり、また絶対的で あることが必要です。神の新約エコノミーとは何でしょうか? それは、わたし たちにとってあらゆるものであるイエス・キリスト、神・人にほかなりません。 彼はわたしたちの律法であり、わたしたちの宮であり、わたしたちのすべてです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(二)」(1988年版)メッ セージ20から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。