からだの中で奉仕する模範 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒6:1 そのころ、弟子たちが増し加わるにつれて、ギリシャ語を使うユダヤ 人が、ヘブル語を使うユダヤ人に対して不満を漏らしていた。というのは、彼ら のやもめが、日ごとの分配でおろそかにされていたからである。(3節)そこで兄 弟たちよ、あなたがたの間から、良い証しのある、その霊と知恵に満ちた人を七 人選びなさい。その人たちを、この仕事に任じましょう。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 使徒たちは集まった人たちに、彼らの間から良い証しのある人を七人選び、食卓 に仕えるという必要に任じさせるようにと言いました。この七人は、食卓に仕え るために選ばれたので、執事と考えられるでしょう。それはちょうど、パウロと 彼の同労者たちがその後に諸教会において任命した人たちと全く同じです(ロー マ16:1、ピリピ1:1、1テモテ3:8)。 執事として選ばれた七人のうち、ステパノとピリポの二人は特別な賜物を持って いました。第7章のステパノの語りかけから、彼が偉大な教師であったのを知る ことができます。彼の長い語りかけは、彼が神の言葉をよく知っていたことを示 します。ステパノの教えは豊かで、力強く、とても意味深いものでした。ピリポ も特別な賜物を持っていました。後に、彼は偉大な伝道者であることが現されま した。 ステパノとピリポは特別な賜物を持っていたとはいえ、彼らは食卓に仕えるよう 選ばれた時、喜んで仕えました。ここに一つの良い模範があります。特別な賜物 を持っている人たちの中には、食卓に喜んで仕えない人がいるかもしれません。 例えば、仮に一人の兄弟が優れた教師であるとします。彼は執事として仕えるよ うに選ばれたとしても、それがうれしくないので、次のように言うかもしれませ ん、「わたしが御言葉を教える者であることを知らないのですか? なぜあなた がたは、わたしに執事として仕えるように言うのですか?」。しかし、ステパノ とピリポの模範からわかりますが、どのような特別な賜物を持っている人でも、 もし食卓に仕えるように選ばれたなら、喜んで仕えるべきなのです。わたしたち は仕えるように求められたなら、たとえそれがトイレ掃除であったとしても、喜 んで奉仕すべきです。ステパノとピリポはつぶやくどころか、立派に食卓に仕え たのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(二)」(1988年版)メッ セージ19から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。