この命の言葉 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒5:19 ところが、主の御使いは夜中に獄の戸を開き、彼らを導き出して言っ た、(20節)「行って宮の中に立ち、民衆にこの命の言葉をすべて語りなさい」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主の御使いは、使徒たちを獄から救い出した時、彼らに次のように言いました、 「行って宮の中に立ち、民衆にこの命の言葉をすべて語りなさい」。わたしたち は、「この」という言葉に注意を払う必要があります。なぜなら、それは特別な 命を示しているからです。ここで「言葉」と訳されたギリシャ語はレーマであり、 恒常的な言葉ではなく、即時的な語られた言葉を示しています。ですから、御使 いは使徒たちに、「行って、この命の即時的な言葉を語りなさい」と言っていた のです。 「この命」とは、どのような命でしょうか? それは、ペテロが宣べ伝え、供給 し、生きた神聖な命であり、ユダヤ人指導者たちの迫害、脅迫、投獄に打ち勝っ た命です。ここの言葉が示していることは、ペテロの生活と働きが、彼の置かれ た状況の中で神聖な命をとても実際で即時的なものとしたので、御使いでさえも それを見、それを指摘したということです。 使徒たちは、神聖な命について教理的に語るよう告げられていませんでした。今 日、あるクリスチャンたちは命について語るかもしれませんが、彼らの話は全く 教理的です。わたしたちは、主からのあわれみと恵みを求める必要があります。 それによって、わたしたちは神聖な命について語る時はいつでも、自分たちが生 きている命そのものの言葉を語るのです。これは、神聖な命がわたしたちの日ご との生活となることを意味します。わたしたちが他の人たちに供給しなければな らないのは、この命です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(一)」(1980年版)メッ セージ18から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。