神の永遠の住まいの建造 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― イザヤ66:1 主はこう仰せられる。「天はわたしの王座、地はわたしの足台。わ たしのために、あなたがたの建てる家は、いったいどこにあるのか。わたしのい こいの場は、いったいどこにあるのか」。(新改訳) エペソ2:21 その方の中で、建物全体が共に組み合わされ、主の中にある聖なる 宮へと成長していき、(22節)その方の中で、あなたがたもまた共に建造されて、 霊の中にある神の住まいへと至るのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第2編) 使徒行伝を読むとき、わたしたちが認識することは、イエスの御名が救いのため であり、わたしたちの救われるべき御名は他に与えられていないということだけ かもしれません。わたしたちは進んで、石の意義や建造する者たちの意義を考え ようとはしないかもしれません。特に、わたしたちは、これらの建造する者たち が何を建造していたのかを尋ねないかもしれません。彼らは何を建造していたの でしょうか? ある人たちは、彼らはユダヤ教を建造していた、すなわち、一つ の宗教を建造していたと考えるかもしれません。しかしながら、ユダヤ教、ある いは、いかなる宗教を建て上げることも、神の意図ではありません。 ユダヤ人の指導者たち、建造する者たちは、神のエコノミーを知りませんでした。 同じように、今日の多くの信者たちも、神のエコノミーが何であるかを知りませ ん。聖書はわたしたちに、神には一つのエコノミーがあることを啓示しています。 神のエコノミーとは、ある事を達成するための計画、案配、行政です。神がご自 身のエコノミーにおいて達成しようとしておられることは、神の永遠の住まいを 建造することです。神の永遠の住まいとは何でしょうか? 神の永遠の住まいと は、神ご自身と人とのブレンディング、神と人性とのミングリングです。天も地 も、神ご自身を満足させる神の住まいではありません。神と人とのミングリング 以外の何ものも、神の住まいとなるのにふさわしくありません。このことについ て、旧約の中ではほとんど見られませんが、新約の中では、特にヨハネによる福 音書の中では、完全に啓示されています。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(一)」(1988年版)メッ セージ15から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。