主を呼び求めることによって新鮮さを享受する(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― イザヤ12:3-4 あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲(く)む。その日、あ なたがたは言う。「主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを、国々 の民の中に知らせよ。御名があがめられていることを語り告げよ」。(新改訳) ピリピ4:4 主の中でいつも喜びなさい。わたしは繰り返して言います。喜びなさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 特にイザヤは、わたしたちが喜んで主を呼び求める必要があることを示します。 わたしたちは喜びをもって主の御名を呼ぶことによって、救いの井戸から水を汲 みます。仮に、ある兄弟に多くの問題があるとします。彼の妻は病院にいます。 彼の長男は失業しましたし、次男は学校でうまくやっていけません。この兄弟は 主を呼び求めて言うべきです、「主イエスよ、あなたは主です! あなたは主権 者です。主イエスよ、あなたがわたしの状況をご存知であることを感謝します。 主よ、あなたは、わたしの妻が入院中であること、長男が失業していること、次 男は学校でうまくいっていないこともご存知です。おお、主イエスよ!」。これ は力強く、また喜びをもって主を呼び求めることです。 使徒行伝第2章21節の「呼ぶ」というギリシャ語は、エピカレオーであり、それ はエピ(に向かって)と、カレオー(名を呼ぶ)とから成っています。すなわち、ス テパノが行なったように、声を出して声高くさえ呼ぶことです(7:59-60)。主を 呼び求めることは、旧約と新約の啓示に十分な根拠があります。それだけでなく、 経験からわたしたちは知っていますが、主イエスの御名を呼び求める時、わたし たちは新鮮にする時季を享受するのです。彼を呼び求める時はいつであれ、わた したちは新鮮にする時季の中にあります。これは、御言葉の中にある事実であり、 またわたしたちの経験における事実です。わたしは、あなたがそれを試してみる ようお勧めします。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(一)」(1988年版)メッ セージ14から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。