主の御名を呼ぶことによって新鮮さを享受する(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒3:20 それは、新鮮にする時季が主の御前から来て、彼があなたがたのため に前もって任命されたキリスト、すなわちイエスを遣わされるためです。 ローマ10:12 ……同じ主が、すべての者の主であって、彼を呼び求めるすべて の者に、彼は豊かです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 多くの信者たちは、主を享受することができるということを聞いたことがありま せん。もしわたしたちがキリストを享受するなら、新鮮にする時季が来るでしょ う。わたしたちは、単純に主イエスの御名を呼ぶことによって、新鮮にする時季 を享受することができます。「おお、主イエスよ!」と呼びなさい。そうすれば、 新鮮にする時季が来るでしょう。わたしたちは結婚生活の中で、新鮮にする時季 を享受する必要があります。例えば、ある姉妹は夫に腹を立てるかもしれません。 その結果、彼女はルカによる福音書第13章10節から17節の、サタンに縛られ腰が 曲がった女のようになります。しばしば妻は、「腰が曲がった」ようになります。 それは、夫に対して感じる怒りによって曲がってしまうのです。どのようにすれ ばそのような束縛から解放されることができるでしょうか? 彼女は単純に、 「おお、主イエスよ!」と呼ぶことによって解放され得るのです。 わたしたちが縛られる時はいつでも、主を呼び求める必要があります。そうすれ ば、「アーメン、主イエスよ! わたしは今、新鮮にする時季にいます」と言う ことができるでしょう。わたしは、あなたが主の御名を呼び求めて、新鮮にする 時季を享受するように励ましたいと思います。神学の知識を多く持っている人は、 あまり主の御名を呼び求めたくないかもしれません。彼らは「メンツを失うこと」 を恐れるかもしれません。しかし、主イエスを獲得するためには、自分のメンツ を失う必要があります。御名を呼ぶことは、何という享受でしょうか! わたし は主の御名を呼んで、新鮮にする時季を享受する時、主にある喜びで我を忘れる ことがあります。来る日も来る日も、一日中、わたしたちは単純に主を呼び求め ることによって、新鮮にする時季を享受することができます。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(一)」(1988年版)メッ セージ14から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。