悔い改めて新鮮さを享受する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)――――――――――― 使徒3:19 ですから、あなたがたの罪がぬぐい去られるために、悔い改めて 立ち返りなさい。(20節)それは、新鮮にする時季が主の御前から来て、彼が あなたがたのために前もって任命されたキリスト、すなわちイエスを遣わさ れるためです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――― 第3章19節から26節でペテロはユダヤ人たちに、悔い改めて立ち返るように と勧めます。それは彼らが、昇天し来られるキリストにあずかり、享受するため です。ここでペテロは次のように言っているようです、「あなたがたは非常に愚 かなことをしました。しかし、今やあなたがたは悔い改めて、立ち返る必要があ ります。それはあなたがたが、昇天し来られるキリストにあずかり、享受するた めです。キリストは神のしもべ、聖なる方、義なる方、命の創始者です。また彼 はあらゆる事を達成され、すべての事に到達し、獲得しました。今や彼はもろも ろの天におられますが、彼は戻って来られます。このキリストはあなたがたの分 です。悔い改めて、立ち返りなさい。そして来て、彼にあずかり、享受しなさい。 もしあなたがたが彼のもとに来るなら、彼を享受するでしょう」。 第3章20節の「新鮮にする」というギリシャ語は、文字どおりには、そう快な、 生き返らせるです。ですから、元気を回復させる、再び生き生きさせる、を意味 します。新鮮にする時季とは、喜びと安息を伴う万物の復興の時を示します。実 は、すべての正当な回心は、新鮮にする時季です。あらゆる真の再生は、享受の 時です。救われた時、わたしたちは享受の時を持ちました。その時、わたしたち は喜びと平安を持ちました。わたしたちはキリストご自身をわたしたちの喜びと 平安として享受しました。ある程度までわたしたちはみな、このことを経験しま した。実は、新鮮にする時季は、キリストご自身です。わたしたちは彼を持つ時、 彼をわたしたちの新鮮さとして持つのです。彼はわたしたちの享受と平安です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(一)」(1980年版)のメッ セージ13から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。