バプテスマの意義(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1コリント12:13 なぜなら、わたしたちはユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自 由人も、みな一つ霊の中で、一つからだの中へとバプテスマされ、みな一つ霊を 飲むようにされたからです。 使徒8:36 彼らが道を進んで行くと、水のある所に来た。すると、その宦官は言 った、「ご覧ください。水があります。わたしがバプテスマされるのに、何か妨 げがあるでしょうか?」。(38節)そこで彼は、馬車を止めるように命じた。そし てピリポと宦官の二人は水に入って行き、ピリポは宦官をバプテスマした。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第2編) このバプテスマには二つの面があります。水による目に見える面と、聖霊による 目に見えない面です。目に見える面は、目に見えない面の表現、証しです。とこ ろが、目に見えない面は、目に見える面の実際です。その霊による見えない面が なければ、水による見える面は空虚です。また、水による見える面がなければ、 その霊による見えない面は抽象的であり、実際的ではありません。こういうわけ で、両方とも必要です。 主イエスが弟子たちにこのバプテスマを遂行するよう命じてしばらくした後、ペ ンテコステの日に(使徒1:5、2:4)、コルネリオの家において(使徒11:15-17)、主 イエスは弟子たちと全教会を聖霊の中へとバプテスマしました(1コリント12:13)。 それから、このバプテスマに基づいて、弟子たちは新しい回心者たちをバプテス マしました。それは単に目に見える水の中へとバプテスマしただけでなく、目に 見えないキリストの死の中へと(ローマ6:3-4)、キリストご自身の中へと(ガラテ ヤ3:27)、三一の神の中へと(マタイ28:19)、キリストのからだの中へと(1コリ ント12:13)バプテスマしたのでした。キリストの死と葬りを象徴する水は、バプ テスマされた者たちの歴史を終結させる墓と考えてよいでしょう。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(一)」(1988年版)メッ セージ11から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。