人なるイエスは主またキリストとされた ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒2:36 こういうわけで、イスラエルの全家は、確かに知っておきなさい。あ なたがたが十字架につけたこのイエスを、神は主またキリストとされたのです。 ヨハネ11:21 マルタはイエスに言った、「主よ、あなたがもしここにいてくだ さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう」。 ルカ2:11 今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。 その方こそ、主なるキリストである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― イエスは、すべてを所有する主とされました。また彼は、神の委託を遂行するキ リストとされました。神として、主イエスはすでに主でした(ヨハネ11:21)。ま た彼の神性においては、彼は主とされる必要はありませんでした。それにもかか わらず、昇天において彼は人として、神によってすべてのものの主とされました。 神はイエスをすべての主とされ、わたしたちを含む万物を所有させられたのです。 主イエスはまた、永遠からでさえキリストでした。その上に、彼はキリストとし て生まれたのです(ルカ2:11)。しかしながら、彼はその昇天において、正式に神 のキリストとされました。これが意味することは、昇天において神が彼を、キリ ストの職務に正式に就任させられたということです。神はすでに彼を任命してお られました。しかし昇天において、神はご自身の委託を遂行するキリストとして、 その職務に彼を改めて就任させられたのです。第2章36節の「主」は所有のこと を言っており、「キリスト」は委託のことを言っている事実に、どうかわたした ちみなが印象付けられますように。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(一)」(1988年版)メッ セージ11から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。