本質上の霊とエコノミー上の霊(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ7:37 ……だれでも渇く者はわたしに来て、飲むがよい。(38節)わたしの 中へと信じる者は、聖書が言っているように、その人の最も内なる所から、生け る水の川々が流れ出る。(39節)イエスはこれを、彼の中へと信じる者たちが受け ようとしているその霊について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けてお られなかったので、その霊はまだなかったからである。 ルカ24:49 見よ、わたしはわたしの父が約束されたものを、あなたがたの上に送 る。ただ、あなたがたは、高い所から力を着せられるまで、都にとどまっていな さい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第2編) ヨハネによる福音書における復活の命の霊は、わたしたちが飲む水にたとえられ ます。ルカによる福音書第24章49節におけるエコノミー上の霊は、わたしたちが 着る衣服にたとえられます。水は内側の命のためです。衣服は外側の働きのため です。 内側の命のための本質上の霊と外側の力のためのエコノミー上の霊との違いを例 証するために、警察官を用いてみましょう。警察官は、渇きをいやすために制服 を着るのではありません。渇きは、制服を着ることによってはいやされ得ません。 警察官は職務に就こうとする時、すなわち警察官として働く準備をする時、制服 を着ます。仮に、警察官が渇きをいやすために何かを飲み、それから制服なしに 働きに出かけるとします。もしこうするなら、彼が街頭で交通整理をしようとし ても、だれも彼に注意を払おうとしないでしょう。彼が渇きをいやすためにどれ ほど多く飲んだとしても、警察官は警察官として働こうとする時にはやはり制服 を着なければなりません。もし彼が制服を着ているなら、他の人たちは彼を尊重 します。この例証を通して、わたしたちは飲むことと着せられることとの違いを 見ることができます。飲むことは内側の事です。しかし、着せられることは外側 の事です。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(一)」(1980年版)メッ セージ7から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。