キリストは来て、行き、今も務めをしておられる(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒1:9 イエスは……彼らが見ている間に引き上げられ、雲が彼らの視界から 彼を連れ去った。(10節)イエスが行かれる時、彼らが一心に天を見つめていると、 見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らの傍らに立ち、(11節)そして言った、「ガ リラヤの人たちよ、なぜあなたがたは立って、天を見つめているのか? あなた がたから離れて天へと上げられたこのイエスは、天に行かれるのをあなたがたが 見たのと同じ方法で、来られるのである」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 主の昇天は、彼の活動の終わりではありませんでした。むしろ、キリストの昇天 は、彼の天の務めへの就任、着手でした。主が胎に入られたことは、地上での彼 の生活と務めへの着手でした。彼の昇天は、天における彼の生活と務めへの着手 でした。ですから、キリストの昇天は、彼の活動の終わりではありませんでした。 むしろ、それは彼のさらに進んだ活動、すなわち、天における彼の務めへの着手 でした。 ルカによって書かれた最初の書である彼の福音書は、主の最初の着手と、地上に おける生活と務めとを記述しています。今や、第二の書である使徒行伝が必要と なります。それは、主が昇天を通してどのような生活と務めに着手されたかを、 わたしたちに告げるためです。使徒行伝でわたしたちは、主がその昇天において どのように生き、務めをされたかを見ます。 この昇天は終結ではなく、もう一つの着手でした。この着手は、彼を一つの新し い領域、すなわち天へともたらしました。そこにおいて彼は今、もう一つの務め を伴うもう一つの生活をしておられます。この生活と務めは、単に聖霊から処女 の胎に入って、ベツレヘムで生まれたイエスによって遂行されるのではありませ ん。それは昇天されたキリストによって遂行されます。復活し昇天されたキリス トは、今や天において生きておられ、そこで務めをしておられます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(一)」(1988年版)メッ セージ1から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。