わたしたちの霊を活用して神に接触する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ4:24 神は霊であるから、彼を礼拝する者は、霊と真実の中で礼拝しなけ ればならない。 ローマ2:15 彼らは、律法の働きが心に記されていることを表しており、自分の 良心も共に証しをして、その判断が互いに訴えたり、弁明したりするのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) わたしたちの霊は三部分から構成されています。すなわち、良心、交わり、直覚 です。わたしたちの霊は、おもにわたしたちが神と交わりを持つためです。わた したちが神と交わりを持つ時、わたしたちは彼に触れます。神とのこの接触は、 自動的にわたしたちに神の感覚、神の意識を与えます。直覚は、神から来る直接 的な感覚と意識を意味します。この直覚を通してわたしたちは、自分が正しいか 間違っているかを知ることができます。もしわたしたちが間違っているなら、わ たしたちは自分の良心によって罪定めされるでしょう。しかし、もしわたしたち が正しいのでしたら、わたしたちは自分の良心によって義とされるでしょう。で すから、わたしたちの良心は、訴えて罪定めするか、あるいは弁明して義とする のです。わたしたちの霊を守る道は、まずそれを活用して、神と交わりを持つこ とです。もしわたしたちがこのように自分の霊を活用することで失敗するなら、 わたしたちはそれを死んだ状態のままにしているのです。 わたしたちクリスチャンが教会の集会で共に集まる時はいつも、機能する必要が あります。わたしたちは祈ったり、賛美したり、証しの言葉を語ったりする必要 があります。これが、わたしたちの霊を活用することであり、それを眠った状態 や死んだ状態にとどめておかないことです。しかし、残念なことに、多くの聖徒 たちは、このようにして霊を活用することによって自分の霊を守ることをしない のです。反対に、彼らは自分の霊を眠ったままにしておくのです。まるで彼らは 自分の霊を墓の中に置いたままにしているかのようです。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケへの第一の手紙(二)」 (1986年版)メッセージ23から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。