聖と聖別(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1コリント6:17 しかし、主に結合される者は主と一つ霊です。 ヨハネ14:20 その日には、わたしがわたしの父の中におり、あなたがたがわた しの中におり、わたしがあなたがたの中にいることを、あなたがたは知るであろ う。 15:4 わたしの中に住んでいなさい。そうすれば、わたしもあなたがたの中に住む。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) もう一度わたしは、お茶を入れるという単純な事柄を例に取りたいと思います。 お茶は一つの要素です。「お茶化すること」は、お茶を入れる過程です。仮に、 あなたにコップ一杯の水があるとします。その水をお茶化するためには、あなた はその中にティーバッグを入れる必要があります。ティーバッグが水に入れられ る時、水は全く同じままのように見えるかもしれません。それは純粋な水とほと んど同じように見えます。しかし、しばらくした後、かき混ぜられると、その水 はお茶化するでしょう。つまり、お茶が水に加えられて、水とミングリングされ るのです。こういうわけで、水はお茶化される過程にあると言ってよいでしょう。 最終的に、お茶は水の中にあり、水はお茶の中にあります。これは、お茶の要素 が水とミングリングされることを意味します。このお茶化された結果、お茶と水 は一つにミングリングされて、一つの飲み物となります。実は、このような飲み 物は、お茶・水です。 お茶が水の中にあることは一つの事です。しかし、水がお茶化される過程を経過 することはもう一つの事です。同様に、わたしたちは聖の要素の中で、責められ るところのない者となる必要があります。またわたしたちは聖別の過程を経過す る必要があります。それによってわたしたちは、神の救いを毎日、さらには毎時、 享受することができるようになります。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(二)」 (1986年版)メッセージ20から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。