喜び、祈り、感謝する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ5:16 いつも喜んでいなさい。(17節)絶えず祈りなさい。(18節)あ らゆることで感謝しなさい。なぜなら、これがあなたがたに対する、キリスト・ イエスにある神のみこころだからです。 詩篇5:11 こうして、あなたに身を避ける者がみな喜び、とこしえまでも喜び歌 いますように。あなたが彼らをかばってくださり、御名を愛する者たちがあなた を誇りますように。(新改訳) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― テサロニケ人への第一の手紙第5章16節は、「いつも喜んでいなさい」と言いま す。喜ぶことは、主の御名を呼び求めることを含んでいます。わたしたちは主の 御名を口にすることなしに主を喜ぶことは絶対にできません。ですから、いつも 喜ぶようにというパウロの勧めの中には、主の御名が暗示されているのです。こ ういうわけで、わたしたちは喜ぶ時、主の御名をもって喜ぶのです。17節でパウ ロは、「絶えず祈りなさい」と言います。これは、わたしたちの霊の中で神との 妨げられることのない交わりを持つことです。それは強い霊を伴う堅忍を必要と します。 18節でパウロは続けます、「あらゆることで感謝しなさい。なぜなら、これがあ なたがたに対する、キリスト・イエスにある神のみこころだからです」。わたし たちが造り変えられて、キリストのかたちに同形化されるために、すべてが共に 働いて益となるのですから(ローマ8:28-29)、わたしたちはあらゆることにおい て感謝をささげるべきです。「これがあなたがたに対する、キリスト・イエスに ある神のみこころだからです」という句は、前にある三つの項目すべてを修飾し ています。神は、わたしたちが喜び、祈り、感謝をささげる生活を生きることを 望んでおられます。そのような生活は、神にとっては栄光であり、神の敵にとっ ては恥辱です。 16節から18節にかけての順序は、パウロの経験にしたがっています。パウロは、 まずわたしたちが喜び、次に祈り、それから感謝をささげることを知っていまし た。わたしたちに対する、キリスト・イエスにある神のみこころとは、わたした ちが喜び、祈り、感謝をささげることです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(二)」 (1986年版)メッセージ18から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。