戦いの中で目を覚ましている(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ5:3 人々が「平安だ、安全だ」と言っている時、……突然の破滅 が彼らに臨みます。そして彼らは、決して逃れることができません。(8節)しか し、わたしたちは昼の者なのですから、冷静でいて、信仰と愛の胸当てを着け、 救いの望みのかぶとをかぶりましょう。(9節)なぜなら、神がわたしたちに定め られたのは、激怒を受けることではなく、わたしたちの主イエス・キリストを通 して、救いを得させることだからであり。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第2編) 3節におけるこの破滅とは何でしょうか? それは8節と9節に述べられた救いに 関係があります。これらの節における救いは、主の再来を通しての来たるべき破 滅からの救いです。それは主の死を通しての永遠の滅びからの救いではありませ ん。堕落した人は永遠に滅びます。それは永遠の滅びです。主イエスを信じたわ たしたちは、永遠の滅びから救われています。わたしたちは、この面での救いは すでに獲得しました。しかし、ここでパウロは、別の面での救い、すなわち、来 たるべき破滅からの救いを語っているのです。 なおまた、ローマ人への手紙第8章21節から25節の光によれば、わたしたちは旧 創造の朽ち果てる奴隷状態からも救われるのです。全被造物は今日、朽ち果てる 奴隷状態に服しています。旧創造全体は、朽ち果てる奴隷状態にあります。あり とあらゆるものは、わたしたちの体を含めて朽ちつつあります。あなたは、老い るとは何を意味するか知っていますか? 老いるとは朽ちることです。わたした ちはみな朽ち果てる過程にあります。旧創造の朽ち果てる奴隷状態は、わたした ちを支配しています。そしてわたしたちはそれに服しています。しかし、主イエ スが来られて、わたしたちが携え上げられる時、わたしたちは旧創造の朽ち果て る奴隷状態から救われます。こういうわけで、主の来臨とわたしたちの携え上げ は、わたしたちを二つの事から、すなわち破滅と朽ち果てる奴隷状態から救いま す。これが8節と9節で述べられている救いです。しかしながら、おもな意味は来 たるべき破滅からの救いです。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(二)」 (1980年版)メッセージ17から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。