信仰、愛、希望という保護 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ5:5 なぜなら、あなたがたはみな光の子であり、昼の子であるか らです。わたしたちは、夜の者でも暗やみの者でもありません。(6節)ですから、 他の人たちのように眠ることなく、目を覚まして冷静でいましょう。(8節)しか し、わたしたちは昼の者なのですから、冷静でいて、信仰と愛の胸当を着け、救 いの望みのかぶとをかぶりましょう。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 目を覚ましていることと冷静であることは、教会生活のための聖い生活の三つの 基本的な構成である信仰、愛、望みを保護することと関係があります。8節はこ れを示しています。胸当とかぶとという言葉は、いずれも霊的戦いを示していま す。胸当は信仰と愛とから成っており、神の義にしたがってわたしたちの心と霊 を覆い、守ります(エペソ6:14)。かぶとは救いの望みであり(エペソ6:17)、わた したちの思考、思いを覆い、守ります。信仰、愛、望みは、テサロニケ人への第 一の手紙第1章3節に描かれているような、真のクリスチャン生活の三つの基本的 な構成です。信仰は、わたしたちの心の一部分であるわたしたちの意志に関係が あり(ローマ10:9)、わたしたちの霊の一部分であるわたしたちの良心に関係があ ります(1テモテ1:19)。愛は、わたしたちの心のもう一つの部分であるわたした ちの感情に関係があります(マタイ22:37)。望みは、わたしたちの思いの機能で あるわたしたちの理解に関係があります。 真のクリスチャン生活が維持されるためには、これらすべてが守られる必要があ ります。そのような生活は、目を覚ましているものであり、冷静であるものです。 この書簡の冒頭で使徒は、信者たちの信仰の働き、愛の労苦、望みの忍耐を称賛 しました(1:3)。この書簡の結びのここで、使徒は彼らにこれらの霊的な美徳の ために戦うことによって、それらを覆い、また守り続けるようにと勧めています。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(二)」 (1980年版)メッセージ16から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。