信仰の二つの面――客観的な面と主観的な面(3) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ3:9 それはまた、万物を創造された神の中に、各時代にわたって隠され てきた奥義のエコノミー(経綸)が何であるかを、すべての人に明らかにして、彼 らが見えるようになるためです。 コロサイ2:2 ……理解力から来る全き確信のあらゆる豊富へと至るため、すな わち、神の奥義なるキリストを知る全き知識へと至るためです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第3編) 信仰の客観的な面は深遠です。わたしたちは、自分がその客観的な信仰に関して 完全であるとか、全く完璧であるとか言うことはできません。神のエコノミーは 深遠です。神のエコノミーの内容は、すべてを含み、すべてに拡張する方として のキリストです。神のエコノミーはその内容において非常に深遠で豊富であるの で、客観的な信仰がわたしたちの間ですでに完成されているとは、わたしたちは あえて言いません。わたしたちの客観的な信仰は、神のエコノミーの内容として の、すべてを含み、すべてに拡張するキリストを含むことを、わたしたちは見る 必要があります。わたしたちはこの内容をまだ十分に知っていませんし、あるい は完全に認識してもいません。こういうわけで、わたしたちは依然として、すべ てを含むキリストをさらに把握し、わたしたちの客観的な信仰の内容としてのキ リストをさらに把握する必要があります。 主を賛美します。この客観的な信仰は、主観的な信じることを生み出します!  わたしたちがキリストに関する啓示を受ける時、わたしたちは彼を信じないわけ にはいきません。信仰が自動的にわたしたちの存在の中に注入され、わたしたち は自動的にキリストを信じます。未信者は、キリストがわたしたちの中におられ るのを信じることができません。しかしながら、わたしたちは、キリストがわた したちの中に生きておられることを信じざるを得ません。彼はわたしたちの中に おられ、わたしたちの命、わたしたちの命の供給、わたしたちのすべてです。わ たしたちは内住のキリストのビジョンを見ました。ですから、彼が実際にわたし たちの中におられることを信じる以外に、わたしたちには選択がありません。わ たしたちは神のエコノミーの内容に関する啓示を見ましたから、わたしたちは自 分の見たものを信じざるを得ないのです。わたしたちは信じる能力を注入されま した。今やわたしたちは、主観的な信仰、すなわち信じるという内側の行為を持 っています。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(二)」 (1986年版)メッセージ14から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。