人からの栄誉を求めるわな ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ2:5 なぜなら、あなたがたが知っているとおり、わたしたちはど んな時にも、へつらいの言を使ったこともないし、口実をもうけてむさぼったこ ともないからです。神がその証人です。(6節)わたしたちはキリストの使徒とし て、権威を行使することができたのですが、人からの栄誉を、あなたがたからも 他の人からも、求めることはしませんでした。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 人からの栄誉を求めることは、あらゆるクリスチャンの働き人にとって真の誘惑 です。多くの人はこの問題によって飲み尽くされ、台無しにされてしまいました。 一見すると、人からの栄誉を求めることは、むさぼりほど邪悪ではありません。 しかしながら、それは一層こうかつです。天使長の堕落は、栄誉を求めたことが 原因でした。彼は自分の栄誉を求めたために、神の敵となったのです。彼は非常 に高い地位を持つ指導的な天使であったのに、彼はなおも栄誉を求めていたので す。それが彼の堕落の原因でした。新約によれば、人からの栄誉を求める者はだ れであれサタンの追従者です。栄誉を求めることは、クリスチャンの働き人を捕 らえるためにサタンによって仕掛けられたわなです。こういうわけで、すべての クリスチャンの働き人たちが、栄誉を求めるというわなを避けるのを学ぶことは、 とても重要なのです。しかしながら、このわなから逃れた人は多くありません。 わたしたちがどれだけ多く主によって用いられるか、またどれだけわたしたちの 有用さが長く続くかは、わたしたちが人からの栄誉を求めるかどうかにかかって います。もしわたしたちが栄誉を求めるなら、主の御手の中でのわたしたちの有 用さはおしまいです。自己のために栄誉を求めることは、常にその有用性を殺し ます。こういうわけで、どうかわたしたちみなが、特に若い人たちが、主の働き において決して栄誉を求めることのないよう警告されますように。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(一)」 (1986年版)メッセージ12から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。