神の王国と栄光の中へと召される ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ2:12 それはあなたがたが、ご自身の王国と栄光の中へと、あなた がたを召しておられる神にふさわしく歩くためです。 エペソ4:1 こういうわけで、主の中の囚人であるわたしは、あなたがたに懇願 します。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩きなさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― テサロニケ人への第一の手紙第2章12節の文脈から、神の王国と栄光の中へと召 されることは、神にふさわしく歩くことと関係のあることがわかります。わたし たちが神にふさわしく歩くとき、わたしたちには一種の特別な雰囲気があります。 この雰囲気が神の王国です。さらに、神の王国のある所には、神の栄光もありま す。 神の王国と神の栄光は、わたしたちの結婚生活の中で現されることもできます。 もしある兄弟とその妻が神を生きるなら、彼らは神にふさわしく歩くでしょう。 その時、彼らの結婚生活にはある種の雰囲気があるでしょう。他の人たちがこの 雰囲気に入り込む時、彼らは自然に尊敬の感覚を持つでしょう。これが神の栄光 を伴う神の王国です。もし今日のクリスチャンが神にふさわしく歩き、彼を表現 するような歩みをするなら、王国が来るでしょう。神の王国はその時、地上で見 られるでしょう。 主がわたしたちの内側から表現される時はいつであれ、わたしたちは栄光と描写 され得る状態にあるのです。兄弟がその妻と議論している時に、だれかがその家 庭に入って行くとするなら、そこには何の栄光もないでしょう。しかしながら、 もしあなたが一人の兄弟の家を訪れ、彼とその妻が燃えて、輝いて、あふれてい るのを見いだすなら、あなたは神の表現、神の栄光を見るでしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(一)」 (1986年版)メッセージ11から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。