神にふさわしく歩く ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ2:12 それはあなたがたが、ご自身の王国と栄光の中へと、あなた がたを召しておられる神にふさわしく歩くためです。 マタイ5:48 だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがた も完全でありなさい。 ピリピ1:21 なぜなら、わたしにとって生きることはキリストであり……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 何を神と比較することができるでしょうか? 何が神とつり合うことができるで しょうか? これらの質問に対する答えは、神ご自身だけが神と比較することが でき、神とつり合うことができるということです。これが示していることは、神 にふさわしく歩くとは、実は神を生きることを意味するということです。わたし たちの日常生活は、実は神ご自身でなければなりません。なぜなら、神だけが神 にふさわしくあることができ、神とつり合うことができ、神と比較することがで きるからです。こういうわけで、わたしたちは生活の中で神を表現しなければな らないのです。 わたしたちは神の命を持っていますから、神を生きることができます。犬の持っ ている命は、明らかに犬の命です。ですから、犬は犬を生きます。同じ原則で、 わたしたちは神の命を持っています。ですから、わたしたちは神を生きることが できます。ハレルヤ、神はわたしたちの父です。そしてわたしたちは彼の子供た ちです! 神の命を持つ神の子供たちとして、わたしたちは神を生きることがで きます。 わたしたちは神から生まれたのですから、神は今わたしたちの父です。全能者と して神は、あなたと何の命の関係もありません。そしてあなたは神と何の関係も ないかもしれません。あなたは神から離れており、神の外側にいるかもしれませ ん。しかし、もし神があなたの父になられたとしたら、あなたは今や神と命の関 係を持っており、神の中にいるのです。ハレルヤ、わたしたちは神の子供たちで すから、神を生きることができます! わたしたちはみな、「わたしは神の命を 持っているので、神を生きることができます」と大胆に宣言すべきです。主を賛 美します。わたしたちは神の命を持っています。そしてわたしたちは神を生きる ことによって、神にふさわしく歩くことができます! ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(一)」 (1986年版)メッセージ10から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。