主という称号は豊かな意味に満ちている ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒2:32 このイエスを、神は復活させました。わたしたちはみな、そのことの 証し人です。(33節)彼は神の右に引き上げられ……。(36節)こういうわけで、イ スラエルの全家は、確かに知っておきなさい。あなたがたが十字架につけたこの イエスを、神は主またキリストとされたのです。 ピリピ2:11 そしてあらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と公に言い 表し、父なる神の栄光となるためです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちが主という称号に十分な注意を払うことは重要です。旧約では、これ は神聖な称号として用いられました。人なるイエスが主となるということは、単 純な事柄ではありませんでした。使徒行伝第2章によれば、キリストは復活と昇 天の後、万物の主とされました。これは、ひとりの人、一ナザレ人が、万物の主 となられたことを意味します。主という称号を主イエスに適用する時、それは受 肉、人の生活、十字架、復活、昇天を含みます。そのような過程を通して、人な るイエスは万物の主とされたのです。 受肉の前、神としてのキリストはすでに主でした。しかしながら、彼は創造主な る主でした。しかし今日、受肉から昇天へと至る過程を経た後、人なるイエスは 主とされました。新約のキリストに適用する時、この称号は豊かな意味を持って います。 キリストは十字架につけられることによって、贖いを達成し、旧創造を終結させ、 サタンと死を滅ぼしました。そして神と人との間のすべての隔てを、また人と人 との間のすべての隔てを、廃棄されました。キリストの十字架が達成したことの ゆえに、ハレルヤ! キリストの十字架が旧創造を終結させた後、キリストの復 活は新創造を発芽させました。今や、受肉し、十字架につけられ、復活され、昇 天された方として、イエス・キリストは万物の主とされました。この過程のすべ てと、それにかかわるすべては、主という称号の中に包含されているのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(一)」 (1986年版)メッセージ7から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。