ひとりの生けるまことの神に仕える ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ1:9 ……あなたがたがどのように偶像から神に向きを変えて、ひ とりの生けるまことの神に仕えるようになったのか。 1テモテ3:15 ……神の家の中でどのように振る舞うべきかを、あなたに知って もらうためです。神の家とは生ける神の教会であって、真理の柱また基礎です。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちの現在の生活は、わたしたちの仕える神が生きておられるということ の一つの証しです。彼はわたしたちの中に生きておられます。そして彼はわたし たちを制御し、わたしたちを導き、わたしたちを対処されます。彼はわたしたち を放っておきません。そうではなく、多くの問題の中で、彼はわたしたちを矯正 し、調整されます。神がわたしたちの考えや動機のような小さなことにおいてわ たしたちを制御し、導かれるという事実は、彼が生きておられることの一つの証 しです。さらに、神が生きておられることをわたしたちの親戚、隣人、友人に証 明することができるのは、わたしたちの日ごとの歩みによってです。しかしなが ら、偶像はだれをも導いたり矯正したりしません。人は偶像の前では何の矯正も 受けることなく、ギャンブル、盗みをすることができます。しかし、わたしたち は生ける神の御前でそのような事をすることはできません。 何年も前わたしたちがマニラにいた時、ある人たちは盗みをして、しかもその後 すぐに礼拝のため大聖堂に入っていくことができることを知りました。ある人た ちはその盗みを悔い改めました。そしてその直後に再び盗みに出かけるのでした。 確かにそのような人は生ける神を礼拝しているのではありません。それどころか、 彼らの拝む神には命がありません。 あなたの神はどうでしょうか? 彼はあなたにとって生ける神でしょうか? 正 当なクリスチャン生活は、神が生きておられるという証しを担うべきです。わた したちがあることを行なったり語ったりしない理由は、神がわたしたちの中に生 きておられるということであるはずです。わたしたちが礼拝し仕える神は、天に 生きておられるだけでなく、わたしたちの中にも生きておられます。わたしたち は偶像から神に向きを変えて、生けるまことの神に仕えています。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(一)」 (1986年版)メッセージ2から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。