福音のためにキリストを生きる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ1:5 なぜなら、わたしたちの福音があなたがたの所へ伝えられて 行ったのは、言だけによったのではなく、力と聖霊と大いなる確信とにもよった からです。わたしたちがあなたがたの間で、あなたがたのためにどのような者で あったかは、あなたがたがよく知っているとおりです。 使徒2:18……パウロは言った、「わたしがアジアに足を踏み入れた最初の日から、 あなたがたと共にあって、わたしが終始どのようであったかを、あなたがたは知っ ています。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 使徒たちは福音を宣べ伝えただけでなく、彼らはその福音を生きました。彼らが 福音を供給したことは、言葉によっただけでなく、神の力を展覧する生活、聖霊 の中の、また彼らの信仰の確信の中の生活にもよってでした。彼らは、彼らが広 める喜ばしいおとずれのモデルでした。 5節の力と聖霊と大いなる確信は、「わたしたちがあなたがたの間で、あなたがた のためにどのような者であったか」という言葉と連結します。この節は、もしわ たしたちが力において、また聖霊において、また大いなる確信において福音を宣 べようとするなら、わたしたちはこのような福音の宣べ伝えにふさわしい生活を していなければならないことを啓示します。わたしたちの生活の様式は、力、聖 霊、確信にふさわしいものでなければなりません。 不注意な人、キリストを生きていない人は、力において、聖霊において、大いな る確信において福音を宣べ伝えることはできません。このように福音を宣べ伝え るためには、わたしたちはまずキリストを生き、力、聖霊、大いなる確信に似合 った生活様式を持っていなければなりません。言い換えれば、力、聖霊、確信は、 一定の生活様式を要求するということです。もしわたしたちが正当な生活を持っ ていないとしたら、わたしたちの福音の宣べ伝えにおいて、わたしたちは力と、 聖霊と、確信を持たないでしょう。なぜなら、わたしたちの生活の様式はこれら の特徴に一致していないからです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(一)」 (1986年版)メッセージ2から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。